越後 八海山~阿寺山 2010/11/06-07
メンバー: T(CL)、P、M、L(入会希望者)
天候: 晴れ
タイム:
<10/05>
東京(22:30)→八海山スキー場P(01:30)
東京(22:30)→八海山スキー場P(01:30)
<10/06>
八海山ロープウェー(08:07-08:15)→女人堂(09:15-09:25)→千本檜小屋(10:20-10:35)→月ノ池(11:35-11:50)→稜線上=釈迦岳と摩利支岳のコル(11:55)→大日岳(13:05)→丸岳(14:05-14:15)→五竜岳(15:00)
八海山ロープウェー(08:07-08:15)→女人堂(09:15-09:25)→千本檜小屋(10:20-10:35)→月ノ池(11:35-11:50)→稜線上=釈迦岳と摩利支岳のコル(11:55)→大日岳(13:05)→丸岳(14:05-14:15)→五竜岳(15:00)
<10/07>
五竜岳(07:20)→神生池(07:55-08:00)→阿寺山付近(08:35-08:50)→蛇食清水(09:50)→竜神碑=金剛清水(10:30-10:35)→広掘川河原P(11:00)→山口バス停(11:30)<レンタカー>東京(15:00)
五竜岳(07:20)→神生池(07:55-08:00)→阿寺山付近(08:35-08:50)→蛇食清水(09:50)→竜神碑=金剛清水(10:30-10:35)→広掘川河原P(11:00)→山口バス停(11:30)<レンタカー>東京(15:00)
5日、22時30分に東京をレンタカーで発つ。トヨタシエンタ。後席ドアがスライドドアという一風変わった作りであるが、3列目シートが一応ある。倒して2列目シート下に収納できるらしい。
夜中に八海山スキー場のふもとに着くが、当然誰もいないし、そもそも入り口にゲートがあってそれ以上進めないので、橋のたもとにあるチェーン着脱場に幕営し、しばし歓談の後就寝。
6日、ロープウェイは8時始発なので余裕があるが、夜明け頃から自動車が何台も通り過ぎて駐車場に入っていっていたようだ。始発のロープウェイに乗り、高度を稼ぐ。山頂駅周辺はほんのり雪化粧。それなりの登山風な格好をした紳士淑女たちがいたのだが、われわれと同じ八ッ峰方面へ歩きだす者はあまりいないようだ。
1時間くらい、徐々に多くなる重たい湿った雪を踏みしめながら歩くと、女人堂に着く。なおも、1時間で千本檜小屋に着く。特に寒くもなく、雪も踏み跡があり、難所もない。
千本檜小屋をすぎると、山頂を越えて行くルートと迂回路があるが、積雪が50cmを超えているこの状況で装備もなく、稜線通しは危険ということで迂回路を進む。
しかし、その迂回路も薄く積もった雪でスリップしかねない。鎖を頼りに行くしかないが、雪に埋もれているとその発掘作業が大変である。気温の上昇とともに、チリ雪崩も起き始めている。結局ペースを上げられず、1時間ほど歩いて八ッ峰の中間辺りにある月ノ池に着く。
この先も迂回路を行くとなると、同じような状況で鎖の発掘が大変だと想像できる。安全面を考えても、稜線通しの方がよいかもしれない。八海山の山頂である大日岳に登ってみたいという同行者もいて、結局稜線通しを行くことに決定した。千本檜小屋から一緒になったソロの登山者はしばし八ッ峰を偵察していたようだが、諦めて戻ってしまったようだ。
いざ摩利支岳に取付くと鎖と薄く雪を被った垂直の岩の連続で、肝が冷えることこの上ない。しかもその下は少なくとも数百メートルは切れ落ちていて、足を滑らせて落ちれば助からない。私はこの後どうやってきたのか正直あまり思い出せないし、写真もまったく撮っていない。それくらい必死であった。大日岳を下りる長い鎖で締めくくるが、この下りは長くて疲れる。心臓に良くない八ッ峰越えであった。
その後は八海山最高峰の丸岳で眺望を楽しみ、阿寺山への分岐がある五竜岳へ。五竜岳で幕営とした。鍋を作り、焼酎に舌鼓を打ち、20時には就寝した。
7日、6時前に起きだしたが、靴ひもやザックが凍っている。私の靴下も冷たくて足が冷え冷えだ。7時過ぎまで朝食と後片付けを行い、出発する。
天気はこの上なくよく、中ノ岳、越後駒ヶ岳がくっきりと雪に映えている。途中、登山道流失を警告する看板もあったが、特に問題なく進めた。しばらく下りると、雪が落ち葉に代わり、沢からは紅葉の彩りが出てくる。
阿寺山から登山道入り口である広掘川河原Pまで2時間強というところだ。山と高原の地図(昭文社)の記載の時間は明らかに長すぎる。登山道入り口から山口バス停までは早歩きで30分くらい。(L)