三国 大源太山~巻機山 2010/09/18-20
メンバー: T(CL)、N、F、(以下、入会希望者)B
天候: 晴れ(三日目朝方雨)
タイム:
<9/18>
東京駅<とき301号>越後湯沢駅(06:08-07:25)<タクシー>大源太山登山口(07:50)→大源太山(10:35)→清水峠(13:00)→朝日岳の北にあるジャンクションピーク(15:40)→大烏帽子山手前の鞍部(17:11)
東京駅<とき301号>越後湯沢駅(06:08-07:25)<タクシー>大源太山登山口(07:50)→大源太山(10:35)→清水峠(13:00)→朝日岳の北にあるジャンクションピーク(15:40)→大烏帽子山手前の鞍部(17:11)
<9/19>
大烏帽子山手前の鞍部(06:00)→大烏帽子山(06:29)→横浜の某山の会パーティと合流(09:00頃)→檜倉山(12:13)→柄沢山手前(16:40)
大烏帽子山手前の鞍部(06:00)→大烏帽子山(06:29)→横浜の某山の会パーティと合流(09:00頃)→檜倉山(12:13)→柄沢山手前(16:40)
<9/20>
柄沢山手前(06:00)→柄沢山(07:30)→米子頭山(10:00)→巻機山(15:39)→桜坂駐車場(19:00頃)<タクシー>越後湯沢駅<MAXとき>東京(21:35頃)
柄沢山手前(06:00)→柄沢山(07:30)→米子頭山(10:00)→巻機山(15:39)→桜坂駐車場(19:00頃)<タクシー>越後湯沢駅<MAXとき>東京(21:35頃)
18日、大源太山から初日幕営予定の大烏帽子山手前の鞍部を目指す。
大源太山一帯は「大源太キャニオン」と呼ばれ、地元では景勝地として通っている。また、大源太山自体も「越後のマッターホルン」の異名を持ち、なるほどその尖った急峻な山容は正にマッターホルンである。越後の。
杉の林道歩きから始まり、一つは架橋されたもの、もう一つはトラロープでの渡渉点を越し、Tが奥又白に行った際の中畠新道よりキツいともらした急登で一気に高度を稼ぐ。2時間半程で山頂。急登はかなり応えたが、山頂からは越後湯沢の街が良く見下ろされた。さすがはマッターホルンである。越後の。
七ツ小屋山分岐を、本山行最後の水場である清水峠の方へ向かう。実は山頂からここまでの間にバテバテになってしまい、後にバカみたく濃いお茶を飲んでいたことが原因と判明。事実、清水峠の水場で山の天然水をガブ飲みすると、それまでの不調が嘘のように消えた。
清水峠からは朝日岳の北にあるジャンクションピークを目指す。ジャンクションピークには朝日岳方面、そして我々が目指す巻機山方面への標識が立っていた。巻機山方面へのそれの下には「難路、道ナシ」と付け加えられており、覗いてみると確かに道らしい道も無く笹が生い茂っていた。だが、地図に「鞍部(我々の幕営予定地)までは踏跡明瞭」とあるように、新人の私でも迷いようのない踏跡がついていた。「難路、道ナシ」の本当の意味を後に思い知らされることとなった。
ジャンクションピークからは、Tの指令通り、先に行って鞍部で天幕を張り、鞍部の東を源頭とするナルミズ沢で水を補給するため、Nと二人で先を急ぐ。日は既に西に傾き、細い稜線上を心地よい風が吹き抜ける。西日の照り返す笹原が黄金に輝き、風にサヤサヤと鳴く。遠くには越後のマッターホルンがその威容を誇っている。かつてマルコ・ポーロは日本を「黄金の国ジパング」と呼んだ・・・しばし、そんな感傷に浸る。この日は生い茂る笹の天然クッションに包まれて眠りに落ちた。
19日、メンバー全員が目覚ましを掛け忘れ、予定より30分遅れた4時半に起床。慌てて朝食を摂り、6時出発。この日の予定はここ大烏帽子山手前の鞍部から巻機山まで。だが「難路」に遮られ、とんでもない誤算であったことを痛感する一日となった。
大烏帽子山山頂までは、昨日までの行程に比べ、あるか無きかの踏跡を頼りに歩く。しかし、山頂から先のルートでヒドいガスと藪のために尾根を間違える。幸い、最終日まで抜きつ抜かれつで行動を共にすることとなった横浜の某山の会のパーティと出会い、事なきを得る。ガスの中から一人二人とシルエットになって現れた彼らの姿は神の助けかと思われた。
新人の私は初めての藪こぎだったのだが、これには閉口した。昨日までのカワイイ笹原から一転、石楠花やハイマツなどの硬い枝を有する藪が立ち塞がる。一歩進むたびに、それらの枝が鞭のように身体を打つ。「頼むからこの顔にだけは傷を付けないでくれ!」という願いも虚しく、容赦なく打つ。疲労よりもフラストレーションが溜まる。
そんな藪を横浜のパーティと交互で掻き分けかきわけ、ようやく柄沢山手前まで来る。ここで新人の私が藪を避けて岩や草付の斜面をトラバースするルートを発見。横浜のパーティに「ありがとうござました。」と言われた時には大仙丈沢での反省も忘れ、やはり自分には才能があるのかもしれないという気がした。この日はBさんの体調不良のため、柄沢山を目前に幕営。
20日、未明からポツポツと降雨。雨具を着て出発。前日に横浜のパーティが柄沢山山頂までとったルートを参考に、藪を避けてガレ場を越え草付の急斜面を登る。
柄沢山から次の米子頭山へ向かう尾根上で、寝坊したのだろうか、昨日は柄沢山を越えた所で幕営していたはずの横浜のパーティが見えた。これが好都合で、ここから再び深い藪こぎをすることとなったが、彼らの踏跡を頼りに進むことができた。とは言え、やはり彼らも試行錯誤しながら進んでいたと見え、踏跡を辿ったにも関わらず、木立の中に入り込んでしまったりひどい藪に遮られたりで先に進めないといったことが多々あった。
米子頭山山頂で、これでは今日中に巻機山を越しての帰京など叶わないだろうから尾根を降りて沢を下ろうかという話になったが、Tが「下調べしてあるならまだしも、こいつぁ危険だぜ。」と顔を曇らせたため、横浜のパーティも行ったことだしと、やはり予定通りで巻機山を目指す。
この日はNが常に先頭で藪を掻き、そのパワーと精神力には圧倒された。お陰で、幸い?横浜のパーティに追いつき、彼らのハイテクGPSを頼りに巻機山の登山道に出た時には、まともな登山道が愛おしく思えたほどの安堵、喜びに包まれた。とは言え、予想外に麓の桜坂駐車場まで時間がかかり、呼んでおいたタクシーに乗車した時には19時を回っていた。
Tが下山後に「久しぶりに濃い山をやった。」と漏らしていた通り、入会して3度目の山行は文字通り「難路、道ナシ」で、登山道の無い山を歩くことの厳しさと、だからこそ味わえる山の楽しさを存分に満喫する山行となった。当面、藪こぎはゴメンだが。(F)