北アルプス 槍ヶ岳 北鎌尾根 敗退~野口五郎岳 2010/07/17-19
メンバー: T(CL)、P、M、A
天候: 全日程通して晴れ
タイム:
<7/17>
新宿駅(23:59)<ムーンライト信州>信濃大町駅(05:11-05:15) <タクシー>高瀬ダム(06:00-06:15)→名無避難小屋(07:30-07:40)→湯俣(08:35-09:20)→中東沢手前 の渡渉地点(11:00)
新宿駅(23:59)<ムーンライト信州>信濃大町駅(05:11-05:15) <タクシー>高瀬ダム(06:00-06:15)→名無避難小屋(07:30-07:40)→湯俣(08:35-09:20)→中東沢手前 の渡渉地点(11:00)
<7/18>
中東沢手前の渡渉地点(10:00)→湯俣(12:00-12:20)→湯俣岳(15:20-16:00)→南真砂岳(18:30)
中東沢手前の渡渉地点(10:00)→湯俣(12:00-12:20)→湯俣岳(15:20-16:00)→南真砂岳(18:30)
<7/19>
南真砂岳(05:10)→裏銀座主稜線分岐(06:10-06:20)→野口五郎岳(07:00-07:15)→野口五郎小屋(07:25-07:45)→三ッ岳(09 :20)→烏帽子小屋(10:05-10:30)→水場(13:10-13:25)→高瀬ダム(13:50)<タクシー>信濃大町駅(14:20-15:05)<特急あずさ>新宿駅(18:34)
南真砂岳(05:10)→裏銀座主稜線分岐(06:10-06:20)→野口五郎岳(07:00-07:15)→野口五郎小屋(07:25-07:45)→三ッ岳(09 :20)→烏帽子小屋(10:05-10:30)→水場(13:10-13:25)→高瀬ダム(13:50)<タクシー>信濃大町駅(14:20-15:05)<特急あずさ>新宿駅(18:34)
16日23時半、新宿駅に集合した。金曜の夜だからか、山手線は信じられないほど混んでいた。飲み会の帰りなのか、スーツ姿の人達がホームを文字通り埋め尽くしている。
それに対して我々のいる中央線特急のホームは広々としていた。居るのは同じような山の格好をした人たちばかりだ。それらをみんな乗せてムーンライト信州は23時59分に発車した。
17日
5時すぎ、信濃大町で降りて、予約していたタクシーで高瀬ダムへと向かう。運転手の女性は気さくな人で、長年登山客を相手にしているのだろう、窓から見える山々のひとつひとつを我々に教えてくれた。
天気は良かった。三連休はずっと晴れるという予報だった。ただ一つ気がかりなのは、前日の雨で川の水量が増している恐れがあることだった。
高瀬ダムを6時過ぎに出発して、湖から沢に沿って歩き始めた。温泉のある湯俣までは道はよく整備されていて、特に問題なく歩けた。
湯俣で休息をとった後、湯俣川を右に分け、左の水俣川に沿って登り始める。出合の吊り橋を左岸に渡ってからバリエーションルートに突入した。左岸を進む。斜面はかなり急で、時折薮漕ぎやザレ場があり、慎重さを要する。以前このルートの経験があるリーダーのTさんによると、何ヶ所か崩落して道が消えているようだ。
この辺りで我々の後ろから単独行の青年が追いついてきた。「山が好き、酒が好き」と書いてある素敵なTシャツを着ている。かなりの経験者だろうか、ペースが早いので先に行ってもらった。
2時間ほど進んだところで、中東沢出合の手前あたりで難所にぶちあたった。かなり急な斜面で岩肌が露出している。フィックスロープがあるが、安定しているかどうかかなり怪しい。
Pさんが空身になって偵察に行くが、見た目以上に危険と分かり引き返してきた。フィックスロープは途中で切れているし足場も悪い。どうやらフィックスロープに沿って行くのは難しいようだ。先ほどの単独行の人もやはり引き返してきた。
ここが行けないとなると、進むための方法は二つあった。この地帯を避けて大きく高巻くか、川を徒渉するかであるが、どちらも問題があった。
高巻きするためにはこの脆い露岩のかなり上まで登らなければならない。おそらく100m以上。そのあとで降りる場所があるだろうか。目の前にあるような切り立った脆い岩場ばかりだとしたら、懸垂下降で降りるとしても非常に危険だ。
とはいえ川を徒渉することも不可能だった。昨日までの雨で水位が上昇しており、渡るには明らかに流れが早すぎた。
単独行の人は少し考えたのちに大高巻きを敢行すべく藪の斜面を登って行ったが、我々は今日中の突破を断念し、明日まで待つことにした。
翌朝になって水量が減っていたら徒渉して進むということにして、その場所にとどまることにした。
時刻は午後1時ごろ、まだ日の高い時間だったが天幕を張り、枯木を集めて焚き火をした。
18日朝になっても水量はあまり減らなかった。リーダーのTさん始め、自分以外の3人はザイルをつけて徒渉を試みたが、向こうまでは行けないと分かった。また沢の流れの中を左岸通しに進むことも試みたが、突破するルートを見つけることはできなかった。
結局、10時頃に撤退を決意した。天気は良く、コンディションも悪くないのに引き返すのは悔しいが、これもまた山の厳しさのひとつということだろう。
12時ごろに湯俣に戻る。折角なので残り一日半で行ける所に行こうということで、裏銀座を縦走することにした。南真砂、野口五郎岳を経由して稜線を歩き、ブナ立尾根を降りて高瀬ダムに戻るコースだ。
湯俣の山荘の裏から西側の尾根を急登していった。
途中降りてくる数人とすれ違った。我々のようにこの時間に登って行く人はいなかった。かなり急な登りが続き、体力を消耗した。
湯俣岳の山頂で休息をとって振り向くと、林の切れ目から南側に槍ヶ岳と北鎌尾根が見えていた。
標高が上がるにつれて尾根は狭くなり、ハイマツ帯になった。左右の視界が一気に開けて、表銀座から裏銀座までぐるりと一望できた。つくづく天気が良いのが幸いだった。ただ虫が多くまとわりついてくるのだけが気になった。
18時半ごろ、南真砂岳の頂上に着いた。当初は野口五郎の小屋まで行ってビールを飲もうなどと言っていたが、疲れもあったので、その場所で幕営することにした。
頂上は開けていて、十分な広さがあった。東の斜面に先客が一人だけいた。
眺めのいい場所だった。槍ヶ岳の姿がはっきりと眼前に望めた。何だかとても遠くにあるようにも見えた。
その日はかなり疲れていて、翌日も早いのですぐに寝た。
19日4時起床。急いで朝食をとって天幕を片付け、5時すぎに出発した。
明け方は寒かったが、日差しが出てくるにつれて暑くなってきた。稜線はよく道ができていた。
7時ころ、なだらかな砂山のような野口五郎岳の山頂に着いた。イワツバメが風を切って飛んでいた。人はそれほど多くなかった。槍ヶ岳の向こう側の上高地や涸沢のあたりはどれだけ混んでいることだろう。
五郎の小屋でお待ちかねのビールと牛乳を買って飲んだ。管理人に聞くと、昔北鎌尾根でガイドをしていたという。彼によれば、我々が試みた湯俣から千天出合への遡行は昔に比べて難しくなり、今はほとんど無理だという。10年の間に地形が大きく変わってしまったのだ。
野口五郎岳から先は平坦な尾根道をただ下るだけだった。左に見える雪渓が美しかった。ザレた道のわきにところどころコマクサが咲いていた。
稜線歩きに飽きてきたころ烏帽子小屋に着いた。
そこからはブナ立尾根と呼ばれる急な道を一気に下った。3日間の最後にこの下りはかなり大変だった。
最後に橋とトンネルを通って元の高瀬ダムに着いた。ちょうど良いタイミングでタクシーが来たので、やれやれという暇もなく乗り込んで駅まで降りてしまった。
予定していた北鎌尾根には辿り着けず、撤退ということになったのは残念であったが、代わりに南真砂岳から槍ヶ岳と北鎌尾根の全貌を眺めることができたのは思いがけない収穫だった。
北側から見るという機会はなかなかないものだと思われる。
山脈の中にあっても大槍の尖った姿はやはり壮観で、今度は行ってみたいという思いを新たにした。(A)